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メルボルン (HMAS Melbourne) は、オーストラリア海軍の軽巡洋艦。チャタム級の一隻。艦名はメルボルンに因む。 == 艦歴 == メルボルンは1911年4月4日にバーケンヘッドのキャメル・レアード社で起工し、1912年5月30日にF・ブラウンド夫人によって進水、1913年1月18日に就役した。 第一次世界大戦が勃発すると、1914年8月からメルボルンは太平洋のドイツ領攻略作戦に参加した。ルイジアード諸島のロッセル島から出航したメルボルンは、8月20日に巡洋戦艦「オーストラリア」と合流してヌーメアに向かった。8月21日にヌーメアに到着し、そこで攻略部隊を載せた輸送船2隻とその護衛の巡洋艦3隻、およびフランス海軍の装甲巡洋艦「モンカルム」と合流した。これらで構成された部隊は8月23日にヌーメアを出航し、8月26日にスバに到着した。スバからは8月27日に出航し、8月30日にサモアのアピア沖に到着した。ドイツ側の抵抗はなくサモアは占領された。メルボルンとオーストラリア、モンカルムは8月31日にスバへ向けて出発した。9月4日、メルボルンはスバを離れナウルの無線基地の破壊へ向かった。9月9日、ナウル到着。メルボルンから25人が上陸し、無線基地の破壊に向かったが、無線基地はすでに破壊されていた。 9月20日、シドニーに帰投。 次いで、メルボルンは兵員輸送船団の護衛に従事した。11月9日には共に船団を護衛していた軽巡洋艦「シドニー」が緊急電報を受けてココス諸島へ向かい、ドイツの防護巡洋艦「エムデン」を撃破した。船団と分かれたメルボルンは12月5日にジブラルタルに到着した。 その後は北アメリカおよび西インド諸島で1914年から1916年まで活動し、続いて北海でグランド・フリートに参加する。メルボルンは第一次世界大戦の終了まで北海で活動した。 メルボルンはシドニーで1919年8月5日に退役し、1920年4月14日まで保管される。再就役後1924年9月29日から1925年10月8日まで再び予備役として保管された。1928年2月9日にシドニーを出航しイギリスに向かい、4月18日にポーツマスに到着する。4月23日に退役しスコットランド、ロサイスのアロア・シップビルディング社に1928年12月に売却、1929年に解体された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メルボルン (軽巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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